gogono0513

妄言

ぐつぐつと全力

誕生日の前日に行きたかった美術展が最終日であることに気がついて

慌てて電車に飛び乗った。

この数カ月は家と職場とAmazonとメルカリしか記憶がない生活が続いていた。

仕事などは荒れに荒れ、今用意できるトラブルは一通りそろえておきましたというような有様で、これで健康なのだからもう良しとすると日々無表情に過ごしていた。

ゴジャゴジャ言っても仕方がない。

不安や愚痴を言って事が改善するのならば私は国を代表するくらいの才能はある。

口がすこぶる悪いし、不吉な事ならいくらでもいえる。

しかし村上春樹さんも言うように、おきたことはおきたことだし

まだおきていないことはおきてから考えれば良いのだ。

不吉な不安を他人にばら撒いて安心しようとするのは小心者ではない、

かましいだけだと今ならわかる。

 

美術展のタイトルは

『美術館に行こう!ディック・ブルーナに学ぶモダン・アート

の楽しみ方』というもの。ミッフィーと仲間たちのシルクスクリーン

ブルーナさんのデザイナーとしての仕事、影響を受けたアーティストなどの作品が

展示されている。

ミッフィーちゃんが描かれたシルクスクリーンの見事な仕事ぶりに唸り、

目当てであったアンディーウォーホルの作品の前で「何色から刷りだしているか

確認」したのち辺りを見渡すとマティスピカソモンドリアンカンディンスキー

岡本太郎などがあり、推しが……😳と圧倒されたとき、比喩ではなく

本当に後頭部あたりがぐつぐつと震えて飢えていたものが補充されていく実感があった

 

常設展にもウォーホルの作品があってやはり刷り順を確認しジュリアン・オピー

奈良美智横尾忠則、船越桂となんだかヒーローショーみたいな仕上がりに

ぐつぐつが止まらなかった。

その中にいた版画家野田哲也の作品「日記1978年2月10日」を眺めながら

私の生まれた年だと思った。

 

友人が私の誕生日にプレゼントを用意しようとしてくれたので

それはいいから、家でちょっと豪華な夕飯でも作って離れた場所からお祝いしてよと

冗談を言った当日、鳥の丸焼きとワインの画像が送られてきて笑った。

丸ごとのニワトリはどこから手にしたのだろうか。オーブンで焼いたのか。

本当に全力で祝ってくれてるやん。いい誕生日になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

あたらしい言葉で

通勤中は必ず音楽かラジオを聴いている。

昔から好きでいつか無限にそれらが手軽に沢山聴けたらなと熱望していた

のがスマホの登場により今、欲のまま色々知ることができたので喜んでいる。

人が作るものでこんな表現があるのかと驚くときは生きている実感がする。

 

折坂悠太さんの曲で「のこされた者のワルツ」という曲とタイトルは、

そこに含まれたものの多さにとてもぐっときた。豊かな表現だと思う。

 

音楽やラジオ以外に落語も聞くのだけれど最近気に入った表現は

「鶯がみりんを舐めたような声」というのが良かった。

艶のある美声というのがなんとなく映像と共にみえる。

あとこの壺こんなに大きかったっけ、などと言われた返しで「こないだの雨で

ふやけたんだろ」というのも投げやりな感じが良かった。

 

知らない言葉が多すぎて度々調べる羽目になるんだけれど、先日弟が

我が家に置いて帰ったケーキのお礼をメールしたところ、

「ご笑納ください」と返事がきたのだが、私はご笑納という言葉を知らなくて

普通に「お前なに笑ってんだよ」と返信したが笑うのはこっちだったようだ。

なんとなく弟が引き笑いしながらケーキをわたしてくるところを想像したのだが。

 

表現の豊かさは不安や恐怖を和らげる。無知を笑われても知らずにはいられない。

面白そうな表現だとわかるとついつい手が伸びるのは私だけではなくて

親しい友人たちもそれらのチェックに余念がない。

 

先日、特殊メイクアーティストのリック・ベイカー全集限定1000部(42000円)

が発売されることを気まぐれに友人に知らせたところ既読がついた2分後に

分割12回払いで購入したと返信がきてどうしようもないなと笑ってしまった直後、

そそのかすとはこういう事だなと真顔になった。

当分昼食は水だという。

友人の家の水道水がおいしいといいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとだねー

先日とうとう私が働く会社でもコロナ感染者でたということで、私も検査をし、

自宅で一週間ほど鬱々とした時間を過ごすことになった。

結果は陰性ということでほっとしたものの正確さや検査したタイミングなどあるだろう、ほとんど免罪符的効果しかないというのが実感としてある。

しかしその免罪符がないと生きてはいけない村社会でいることは間違いなくて

「元気ならもう検査したらだめ」と言う周りを非難することはできない。

 

感染者は回復に向かい会社はなんとなく始まった。

時間をかけてゆっくりと衰弱する。夏が追い打ちをかける。

Twitterを開くとフォローしてる人たちは努めて楽しい話題や何気ない話を選んでいるように見える。ささやかな抵抗と個人規模の強さ。私は少し無理そう。

Twitterぐらいしかいう所がない。

 

メルカリで、アンドレケルテスとマリオジャコメッリと石元泰博の作品集と図録を

安く手にすることが出来た。

YouTubeを開けば若い時には絶対に分からなかった有益な話をプロが惜し気もなく披露してくれている。有難いのと薄々感づいていたある種の頭打ち感を思い知る。

今わざわざ写真を撮るって、確かに理由がいる事かもしれない。

記録するならもっと効果的な手段はいくらもあるのだから。

私が写真を好むのは、全ては流れて一瞬で終わるから一番いい時を引き留めて

ずっと眺めていられるからです。

全ては現象として全体が同時に流動し続けるものを写真にすること自体

ありのままなどありはしない。遺影とはよくいったもんだな。

 

 

本当なら今、東京都現代美術館でマークマンダース展が行われているはずだったが

臨時休業中ということで図録だけ購入することにした。

オランダ生まれの芸術家は曇り空みたいな作品をつくる。

この前YouTubeでフワちゃんニューヨークに行くみたいな動画を見ていたら

セントラルパークを横切るフワちゃんの後ろにマークマンダースの作品がパブリックアートとしてあって

フワちゃんに「なにこれ」と言われていて笑った。ほんとだね。

 

 

 

 

 

忘れがたき人

今年に入ってから胃の具合が悪く思い切って胃カメラをすることにした。

調べてみると近所の病院の評判が良いことが分かりではここでと思ったのだが、

ひとつ気になることはここの先生は聞き分けのない患者に結構厳しいということで

それを知る私は「ここかよ……」とすでに暗澹たる思いのなか予約をした。

 

当日病院に行くと私のほかに小柄なおじいちゃんと、見た目と声が声優の大塚明夫似のいかにも強そうなおじさんがいた。おじいちゃんはともかく明夫は大丈夫そうだ、看護師さんとのやり取りもブラックジャック感が凄い。

 

病室は患者の緊張をほぐすためか50年代ぐらいのジャズが小さな音で流れている。

胃カメラ検査が始まると予想に反して一番目のおじいちゃんは意外にも終始冷静で、先生も言葉少なに終わった。

 

最後の私は、二番目の明夫の様子をカーテン越しにうかがいながらぼんやりしていると

どうもおかしい。明夫はめちゃくちゃ緊張していたのだ。

「はじめてなんです……昨日眠れなくて……」

カーテン越しに聞くと本当に弱ったブラックジャックがいるようだ。

がんばれ先生。いや先生ちゃうけど。

検査が始まると相当苦しいようで(本物の)先生にがっちり怒られている声がこちらまで聞こえていたたまれない。

 

ブラックジャックが消化器系の先生に怒鳴られ、その後ろではナットキングコールの

アンフォゲッタブル』が優雅に流れていた。確かにそうだろうよと思った。

 

私は何とか怒られることなく特に異常なしで胃薬を貰うだけですんだ。

 検査って大変だね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにもない庭

祖父は陽気な人だった。

60歳を過ぎてカラオケにはまり人前で歌うことを生きがいにしてあちこち出歩いていた。同じ音楽好きでも聴き専の私が、家でも歌えるじゃんと言うと、人前でないと燃えないという。もう少し若かったら前川清ぐらいになっていたと語る姿に、私と弟はおいおいマジかよと笑うのだが祖父は真面目だ。

私が小学生の頃、祖父は解体業をしていて現場で要らなくなった物を我が家に持ち帰り再利用することが多かったのだが、大抵は即座に母の手によって捨てられていたため庭に物が溢れるということはなかった。

持ち帰っては破棄され、持ち帰っては破棄され、乾いた砂に水を撒くようないたちごっこにも祖父は挫けも怒りもしない。なにもない庭は維持された。

時々、祖父は私を呼び止め「あそこにあった壺(なにに使うんだ)しらんか」

などと聞いてくるたびに「……知らん」と詰まりながら嘘をついた。本当は母がガンガン捨てていたのを毎度のごとく横で見ているのだが何となく祖父がかわいそうではっきり言えなかった。

ある時私は、当時流行りのローラースケートが欲しくて母にねだった所無視され機嫌が悪かった。なんとしても欲しいがどうにかならんものかと庭に出るとやはり今日も母にコレクションを破棄され呆然としている祖父を見かけたので、ローラースケート買ってよとからんだのだがローラースケートが分からないという。

ほら、靴にゴマが付いててシューッってすべるやつだよぅ買ってよぅと駄々をこねる私を見下ろしながらしばらく考え、家の裏に隠してあったガラクタの山から変死体のローラースケートを出してきた。

そんなのいらんと怒った私はその足で母にガラクタのありかを密告した。

数日後、祖父にローラースケートできたぞと言われ首を傾げた。できた?

手渡されたのは、かまぼこ板にゴマを接着させた何かで、確かに私はそう言ったけれど

ブレーキもないしベルトもないし、これはローラースケートではなくかまぼこ板にゴマを接着させた何かであると使うことはなかった。

 

私は大人になり、祖父は大病を患い回復の見込みもなく病院のベッドで眠り込んでいた。

やることもなく何となく病室に置かれたミカンや祖父の手を写真におさめたり、景品欲しさに大量に買ったペットボトルのお茶を祖父の枕元に猫除けのように置いたりしていると目を覚ました祖父が「病気治るんか」と聞いてきた。

「治るよ。ただ年寄りだから治るのに時間はかかるって。今が頑張り時だなぁ」とよどまず嘘をつくと祖父は聞き分けのいい子供のように「うん」とこたえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

架空の先生

写真が好きで長年細々と撮っている

学校にも行かず当然先生もいないので、私の先生はカメラの取説と決まっている

まだらに勉強するのでいまだに当たり前のことを知らずにしてることも多い。

去年から現在まで、どこにも行かず過ごしていることで本当なら移動して撮影にあてていたお金を全て、偉大な写真家の写真集を購入することにまわしている。

ずっと貧しくて(今もだが)自分が撮るだけでお金は無くなるので人の作品などほとんど見ることはなかった。

山沢栄子さん、奈良原一高さん、植田正治さん、ハービー山口さん、マイナーホワイト

さん、中藤毅彦さんの作品集を買った

渡部さとるさんの作品集も見つけたので近々買う。

現在の鬱屈したストレスを全部写真集に変えたらかなりの量になるだろう。

 

植田正治さんがなにを考えながらあの砂丘で撮影をしたのか知りたくて鳥取砂丘へいったことがある。

なぜあんな……と思う疑問を解消したい、ひょっとしたらもっと良い撮り方があったりしてなどと不遜な気持ちを抱えながら向かったが到着3分で己の馬鹿さが恥ずかしくなり、自分が今できるベストを尽くすことだけにおとなしく集中することになったのだけれど、現場を見てわかることもあるんだなぁ、と思った。

普通の感想。

それから時々、多くの人が撮影した場所へ出向いて確認することも《先生⦆として追加された。

とうぶん架空の先生と自宅で過ごすことになるのかな

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どこでも生まれる

どこにも行けないという状態のまま長い連休を過ごすことになった。

すでに新年は迎えているが本当にそうなのかよくわからない。

年末、星野源さんの歌で号泣した記憶はある。

去年、買っては読みかけのままだった本を読みたおすことにした。

彫刻家外尾悦郎さんが語るサクラダファミリアの中で装飾とされるものも、

実は同時に柱や壁、雨水を通す管などの機能も兼ねた作りになっていて

一体化しているという話が面白くてよかったのだけれど、そのあとに読んだ

バウハウスで先生をしていたというモホリ・ナギの本で『装飾は常に機能的な

ものの反対側にある。』と言っていて、そうか色々調べると当然反対の意見も知ることになるもんな。と、分からないなりに何となく納得したのだけれど時代的に彼らは

活動した時期が被っていて、造るものを見るに対局だ。ガウディ先輩古いっす、みたいなのがあったのだろうか。

モホリさんは顔が凄い怖くて気が強そうだったので何となくそんな気がするだけなんだけども。

 

あと民俗学者の畑中章宏さんと柳田国男さんの本は古事記を読み終えて少し何をいっているかわかるようになった。

まさかこんな大人になって古事記を読むとは思わなかったが神は本当にいろんな所から数多く生まれていることを知った。普通にサラッとうんこから生まれたり(大事な神様だった)揉めたらすぐ殺すし、なんというかついてこれない奴は置いていくぜという感じが良かった。

 

私は頭が悪いので概ね理解していないのだけれどなんとなく賢くなったような気がします。そんな正月。あと数の子食べた。