どこでも生まれる
どこにも行けないという状態のまま長い連休を過ごすことになった。
すでに新年は迎えているが本当にそうなのかよくわからない。
年末、星野源さんの歌で号泣した記憶はある。
去年、買っては読みかけのままだった本を読みたおすことにした。
彫刻家外尾悦郎さんが語るサクラダファミリアの中で装飾とされるものも、
実は同時に柱や壁、雨水を通す管などの機能も兼ねた作りになっていて
一体化しているという話が面白くてよかったのだけれど、そのあとに読んだ
バウハウスで先生をしていたというモホリ・ナギの本で『装飾は常に機能的な
ものの反対側にある。』と言っていて、そうか色々調べると当然反対の意見も知ることになるもんな。と、分からないなりに何となく納得したのだけれど時代的に彼らは
活動した時期が被っていて、造るものを見るに対局だ。ガウディ先輩古いっす、みたいなのがあったのだろうか。
モホリさんは顔が凄い怖くて気が強そうだったので何となくそんな気がするだけなんだけども。
あと民俗学者の畑中章宏さんと柳田国男さんの本は古事記を読み終えて少し何をいっているかわかるようになった。
まさかこんな大人になって古事記を読むとは思わなかったが神は本当にいろんな所から数多く生まれていることを知った。普通にサラッとうんこから生まれたり(大事な神様だった)揉めたらすぐ殺すし、なんというかついてこれない奴は置いていくぜという感じが良かった。
私は頭が悪いので概ね理解していないのだけれどなんとなく賢くなったような気がします。そんな正月。あと数の子食べた。