gogono0513

妄言

なにもない庭

祖父は陽気な人だった。

60歳を過ぎてカラオケにはまり人前で歌うことを生きがいにしてあちこち出歩いていた。同じ音楽好きでも聴き専の私が、家でも歌えるじゃんと言うと、人前でないと燃えないという。もう少し若かったら前川清ぐらいになっていたと語る姿に、私と弟はおいおいマジかよと笑うのだが祖父は真面目だ。

私が小学生の頃、祖父は解体業をしていて現場で要らなくなった物を我が家に持ち帰り再利用することが多かったのだが、大抵は即座に母の手によって捨てられていたため庭に物が溢れるということはなかった。

持ち帰っては破棄され、持ち帰っては破棄され、乾いた砂に水を撒くようないたちごっこにも祖父は挫けも怒りもしない。なにもない庭は維持された。

時々、祖父は私を呼び止め「あそこにあった壺(なにに使うんだ)しらんか」

などと聞いてくるたびに「……知らん」と詰まりながら嘘をついた。本当は母がガンガン捨てていたのを毎度のごとく横で見ているのだが何となく祖父がかわいそうではっきり言えなかった。

ある時私は、当時流行りのローラースケートが欲しくて母にねだった所無視され機嫌が悪かった。なんとしても欲しいがどうにかならんものかと庭に出るとやはり今日も母にコレクションを破棄され呆然としている祖父を見かけたので、ローラースケート買ってよとからんだのだがローラースケートが分からないという。

ほら、靴にゴマが付いててシューッってすべるやつだよぅ買ってよぅと駄々をこねる私を見下ろしながらしばらく考え、家の裏に隠してあったガラクタの山から変死体のローラースケートを出してきた。

そんなのいらんと怒った私はその足で母にガラクタのありかを密告した。

数日後、祖父にローラースケートできたぞと言われ首を傾げた。できた?

手渡されたのは、かまぼこ板にゴマを接着させた何かで、確かに私はそう言ったけれど

ブレーキもないしベルトもないし、これはローラースケートではなくかまぼこ板にゴマを接着させた何かであると使うことはなかった。

 

私は大人になり、祖父は大病を患い回復の見込みもなく病院のベッドで眠り込んでいた。

やることもなく何となく病室に置かれたミカンや祖父の手を写真におさめたり、景品欲しさに大量に買ったペットボトルのお茶を祖父の枕元に猫除けのように置いたりしていると目を覚ました祖父が「病気治るんか」と聞いてきた。

「治るよ。ただ年寄りだから治るのに時間はかかるって。今が頑張り時だなぁ」とよどまず嘘をつくと祖父は聞き分けのいい子供のように「うん」とこたえた。