gogono0513

妄言

この人はどこへ行くのだろう

コロナの影響で何処へも行けず暇にまかせて誰も注目しないブログを書き始めた。

不慣れなタイピング練習も兼ねてパソコンで細々と書いている。

 

下手の横好きというやつだがわりあい面白くて飽きない。

贔屓にしているカフェがある時文学賞を立ち上げて、私も何度か投稿した。

毎回テーマと、A4一枚におさまるように書けば何でもよいという大らかなもので、

最初に考えた話は、浮気相手の家にいる夫の帰りをベランダで煙草を吸いながら待っている女が、ぼんやり前方にある二本のメタセコイヤを見ていると徐々に接近していることに気が付いて急に怖くなり混乱する、というもの。

 

次は、妻が友人の娘が参加するピアノの発表会に呼ばれたと家を出たきり戻らなくなり心配になって置いていった招待状を開けてみた所それは白紙であった、という話。

 

次は、崩れた城の石垣修復状況を取材するべく市の担当者のもとへ出向いたローカル誌の記者が、実は石垣の中から胎児の形をした石が大量に出ているがまだ公表していないと打ち明けられる話。

これは、記者がその石を見るために担当者の後ろをついて歩きながら、このまま目の当たりにすれば後戻りできないのでは、と予感したところで余りに荒唐無稽すぎて出さずにやめた。

どの話にしてもこれ以上膨らますことはできない。

ぼんやり、彼らはどうなるのかなと思うばかりだ。

 

Twitterで、文章を書く人たちが苦労している様子を見ると読む事を楽しみにしている

一人としては応援の言葉ぐらいは上手いこと書けたらなとはいつも思うのだけれど

難しいもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鋼のブルース

今年、私が働く職場に女性が一人入社した。

入社初日からみんなにタメ口で話始め、笑いながら

おいおいマジかよ~~~(;^_^)

と、さっき会った人に突っ込んでいる姿を見た人が私に

「あの人前からいた人なんだね」と言ってきたので

「今来た人です。」と言葉少なに返事をしたことを覚えている

大物登場の瞬間である。

 

そんな人なのであっという間に苦手だと思う人が知らぬ間に増えていたようだった。

数人が雑談していたりすると背後でニコニコ聞いている。

勝手に聞いて勝手に突っ込んだり、笑ったり相づちをうったりしているが、

言われた方は即身仏のように微動だにしない。辛い。

きっと会話に参加しているつもりなんだな……と、横目で様子をうかがう私はなんとなくしんみりした気持ちになったりしていたのだが、当の本人は人間関係良好!!!!

と毎日元気に働いている。

感心するほどの鋼のメンタルだが何故か羨ましくない。

この、実は全くキャッチボールが出来ていないにも関わらず、絶妙に会話が成立している気持ち悪さ。シックスセンスのブルースウィルスと一緒じゃねぇかと、

急に後ろから「ハハッごごのさんマジ面白いわ、笑える」とピッと指をさされた時

若干の苛つきと共に思ったりしたのだが言うことはできなかった。

 

死んだ気になればどんな人間関係も良好にできるということだろうか。

 

違うと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼんやりの向こう側

若い頃は、いまにもましてうっかりが酷く忘れ物やら失敗やら

なにかと多い生活をしていた。

大人になるにつれ徐々にそれも和らいだかと思われたころ、今度は老化でうっかりが酷くなりトータル人生の大半うっかりしている状態で現在に至る。

しゃんとしていたのは4日ぐらいかもしれない。

振り返るとそれにまつわる思い出がいくつもある。

 

出かけるときはリュックを背負っていることが多かった。「置き忘れないため」

という理由からだが、リュックのチャックは常に三分の一ぐらい豪快に開いていたため、誰でも摑み取りし放題の状態が常であった。

なのでよくエレベーターなどで立ち止まっている時に、知らない人に

「チャック開いてる!!!」とキレ気味に閉めて貰ったりしていた。

そんなことをされてもボンヤリしているのでされるがままだ。

 

人間隙があるとそれにつけこみ酷いことをする輩はどこにでもいるものだが、

隙しかない人間は、逆に恐怖を感じるのだ。

若干私が常に加害者だったのかもしれない。

 

とにかくボンヤリしているから、知らない人に話しかけられることも多い

電車で隣の席に座る知らないおばさんに「うちの孫そろばんしてまんねん」

と言われたことがあった。「へぇ。」と答えるとそのまま喋り続け最終的に、

私は貯金と年金けっこう貰えるから老後は大丈夫という自慢をして電車を降りていった。

はちゃめちゃに貧乏な私は、今の年寄りはいーなーと思いながらまたボンヤリしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おとうと

私には四つ下の弟がいる。

子供の頃は喧嘩が絶えず、というか主に私がコロコロコミック増刊号などで

頭を殴って弟のビックリマンシールを強奪したり、ゲームボーイを意地でも貸さなかったりと、酷いことしかしてこなかったので一万回ぐらいは死ねと言われた仲だったのだが、

大人になってしまうとなにかと話をしたり、私が困っていると助けてくれたりと随分親切になっていた。

 

多分コロコロコミック増刊号で殴り過ぎた

せいだろう、過去の記憶が消えている可能性がある。悪いことをしたと思うが思い出されると都合の悪い事しかない身としては

このままでいてもらう方がが良い。

 

お互いにいい大人になったが、二人で食事にいったりしたことはない。

身近な存在過ぎて考えたこともあまりなかった気がする。

しかし、両親も老いて今後のこともある。介護や僅かな財産分与、税金、お笑い第七世代ってなになど、弟の意見を聞かなくてはいけないことは多い。

先ほど述べたように協力的で話の分かる人間なので、ここはひとつ焼肉でも食べながらそのうち話そうかと思う。

深刻な話ばかりではない、くだらない話もして息抜きをするのもいいだろう。

しかし昔話は駄目だ。

忌まわしい記憶がよみがえってしまうかもしれない(誰のせいだ)

念のためにカバンの底にコロコロコミック増刊号をしのばせたほうがいいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本を飼う

今年はコロナのおかげで身動きがとれず陰々滅々とした気持ちで過ごしている人は

いまだに多いのではないだろうか。

かく言う私も上手く息抜きができず薄暗い空を見上げ

殺す……と物騒な独り言を呟いたりするのだが、そういう言葉が餌になるのか

絶妙なタイミングでろくでもない人間に遭遇したりしてより暗澹たる思いになることも多い。悪態ぐらい気軽につかせて欲しい。

自分はインドア派なので出歩かないことは平気なのではないかと当初思えたが、

写真を撮るのも人と会うのも考えれば出歩くことばかりで、自分はアクティブなオタクであったと思い知った。

こうなると、本を買うぐらいしか娯楽がない。

今年は、これを機会になかなか買わない高めの作品集や人のすすめた本を買うことにした。

が、陰々滅々具合が凄すぎて買うペースの方が早く読まずに飼っている状態の物が多い。読むつもりもあるし細々と読み進めているので無駄に感じることもないのだが

いい加減にしなくてはなと思いながら昨日も一冊買った。

とはいえ未読の本は希望だから嫌な気持ちはしない。

 

マイナーホワイト、中藤毅彦、ハービー山口、エクトールギマール、モホリ・ナギ

千葉雅也、和山やま、カーソン・マッカラーズ又吉直樹せきしろ、ポールオースター、柴田元幸、畑中章宏、こだま、カンディンスキー村上春樹藤子・F・不二雄

 

あっという間に読めたものからこれっぽちも進まないのもある

本棚をあっさって思ったのだけれどカバーは取った方がいいかもしれない

カンディンスキーは難しすぎてカバーをしたまま忘れていた

自由律俳句はとても楽しかったのでいろんな人の作品が読みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写ルンです

写ルンです

ご存じですか。最近、若い人の間で「あえて」不自由なフイルムカメラを使って

写真を楽しんだりするのが少し流行っていたりするようで、当時それしかなくて

渋々使っていた身としてはそんなもんかと思うばかりで、現像した後データ化して

SNSにあげたりしているのをみるとなんか笑ってしまうような関心するような

面白いような気持ちになる。

先ほど述べたように、私は写ルンですを真正面から使用していたゴリゴリの昭和っ子

なので、若い人と何が違うといって写真一枚の単価と時間の感覚の差が一番大きいのではないだろうかと思う。

写ルンですは一個大体1000円ちょっとしたと思う。しかも27枚撮りだったりして

今思うと、いや当時だって高価だったから親が買うのは家族旅行の時だけだった

撮影のチャンスは27回。

絵心も写真のセンスも毛ほどもない父親が、いつまでたってもあまりなつかない子供たち(私と弟だ)のいかんともし難い半笑いの半目のどこだか分からない奇妙な場所とタイミングで気まぐれにパチパチとやっているうちに10枚ぐらいすぐ溶けるのだ。

当時の写真をみると母はほとんど白目で写っている。

思い出はいつも白目。母はいつも白目。切ない。チャンスとセンスが無さすぎる。

 

ここまでくると写ルンですの問題というよりも家族の問題ではという気もする。

 

本当は、写ルンですって大体使いきれなくてフイルムもったいないから撮りきるまでなかなか現像ださないあるあると、そのあまりの写ルンですで小学生の時はじめて自分で写真を撮った話を書きたかったのに

白目の母しか印象に残らない話で力尽きてしまった。

 

 

 

 

 

 

欲がない

昔働いていたバイト先のおばさんに

あなたは欲が無さすぎると、結構な勢いで言われたことがある。

半笑いでそうかなぁとその時はやり過ごして終わったのだけれど

正確には欲が無いのではなく競争することがすこぶる嫌なだけなのだ

 

はじめは何もできない自分に嫌気がさして競争に参加したりもしたが

だんだん、なんでこんなにアホみたいに一番を目指さなくてはならないのか

利口や丈夫になればいいものを、人を押しのけて一番であることになんの意味があるのかと身も蓋もないことを思いだす

お前ごときに勝ったからなんなのだ。

 

私が辛いのは人と比較しているからだ自分の充実を目指せば。

といえば聞こえがいいが要するに向上心がない、行きたきゃ先に行けとすぐ思う。

出世は絶対にしない。

 

今日は休日だったので、本を買い久しぶりに散歩をしながら写真を撮った

写真を撮るのがとても好きだ。嫌いになることも飽きることもない。

まだまだ下手なのでいくらでも努力や勉強できる余白があるので一生遊べる

 

公園でひとり、人生で出来るだけ長く写真が撮れたり素晴らしい作品を見たりする時間があれば他はいらないなぁ早くコロナが無くなれば、と思ったあたりで

本当にそのような人生を邁進していることに我がことながら呆れるが、

地球には人間が沢山いるのでこんな一粒がそうであってもどうでもいいと思う

 

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