今年も終わるのでぐっときた展示会を記録しておこうかと思う
●高松コンテンポラリーアートアニュアル
複数のアーティストによる作品展のなかで写真家の北野謙さんと本田健さんの作品がよかった、作品買いたい。 眩しい北野さんと親密な本田さんといった作風か。ずっと眺めていると胸にくるものがある。
●今井俊介 スカートと風景
展示会と共にトークイベントも聞いてきたのだけれど、どうやって作っているのかなと思っていたら自ら作り方を惜し気もなく話されていたのに驚いた「アートはオープンソースであるべきだ」と言う姿がかっこよかったなぁ。同い年。
●合田佐和子展 帰る途(みち)もつもりもない
タイトルかっこよすぎだろう。どうなってるんだよ。
唐十郎さんや寺山修司さんによる演劇の舞台美術やポスター原画などもされていた。
偶然、男性作家が大多数を占めていたこの辺りの時代の女性作家について調べていた最中の展示会で飛びついた。強いというより、どうかしているという方があうかもしれない性別なんて関係ない厳つさと美しさがまだらに混ざる作品。
岡上敏子さんや藤野一友さんより少しあとに近い枠で活躍したようだ。
●石元泰博コレクション展 水と人の流れ
好きですでに作品集を見ていたので本物のプリントを見れて感動した。
作風に大きな幅があって面白い人。今回は部屋半分は水面の写真、半分は流れるようにブレて写る人波の写真だった。いずれもそぞろに揺らぐ様子が似ていた。
人はファインダーを覗かずにみぞおち辺りにカメラをあてて撮っているようだった。
バウハウスの本を読んだ直後に、シカゴのニューバウハウス卒業の石元さんを偶然知ったのもタイミングが良かった。
●シャガールコレクション展
有名なのにほとんど見てこなかったけれど思いのほかぐっときた
シャガールは自分はともかくこの人だけは何とか守りたいという気持ちがあったんだろうか?花嫁をかく絵がなぜこんなに悲しげなのか調べようと思う。
●角田和夫 土佐深夜日記
高知出身の写真家。
青年時代の苦難を救ったカメラを救済と深い理解に使い、その圧縮された作品を見ていると足元がおぼつかなくなるような感覚があった。
過激な内容はいくつかあったがそれよりも〈満月の夜>と題した父親を亡くし、あてなく徘徊して撮った夜の写真シリーズがぐっときた。自分ならこんな写真は真似事でも撮れないと思ったのは、こんな泥みたいな悲しい夜があったことを絶対に知られたくないから撮るなんて思いつかないのだ。しかしこの夜を私はしっている。
後から入ってきた老夫婦か1分くらいで「気持ち悪い」と言って出て行ったのが面白かった、なかなか勘が鋭いじゃないか。
●すべて未知の世界へ ─GUTAI分化と統合
具体美術協会(具体)の展示会。長いこと私の被写体をしてくれている人の師匠が具体の嶋本昭三さんなので良い機会だった。お師匠さん凄い。
以前からストロングスタイルと半分本気で呼んでいるこの団体で特に女性作家がどうしているのか大変興味があったけれど性別など関係ない所まで突き抜けた気迫に痺れ、
そうなるまでの苦労を想う。田中敦子さんと山崎つる子さんの作品はもちろん具体の作品は実物を見るのがいいと分かった、そりゃそうか。
●マークマンダース 乾いた土の頭部
具体の作品だらけの美術館の一室に全くの別件としてマンダースの作品が1点だけあった。何故だか見当もつかない。
コロナ禍で追い込まれた私を励ましてくれた作品の一つで、とはいえ見る機会はないかと思った矢先の邂逅に興奮しすぎてジャンプしてしまった。あまりの美しさにいくら見ても飽きなかった、この作品の前にコタツがあれば一冬ここで過ごせるだろう。
学生時代に知った数少ないアーティストの一人でポストカードなどで長年見過ぎたせいで実物の大きさに一瞬うろたえたがこれは宣伝ポスターだったのだ。作品は大体A1サイズぐらいで半分のA2サイズの版を二つ繋いで作っているようだった。
物販の大量に生産されたロートレックグッツを見てどのサイズ感でも人目につくデザインだったんだな版画の塩梅ばっかり見ていたことに気が付いた。
今年はというか今年もなんだか厳しい出来事に無言で耐える間に終わった。
人と過ごす余裕はなくひたすらに作品を見て自分はなにが作れるか考えて過ごした。時々、芸術の神が慰めてくれた悪い事ばかりではない。
自分の作品はどうしようかまだ迷いながら道具を集めだした。引き延ばしている場合ではない。
元気なうちになるべく作ろうと思う未熟でも構わない。