gogono0513

妄言

すずめのおばあさん

曾祖母が亡くなったのは10年ほど前だったか。

98歳で大往生だったねなどとお葬式で話したと電話越しに母から聞いた時は

地元を離れ、体調もすぐれなっかった私は参列することはなかった。

 

小学生の頃は時々、近所に住む曾祖母の家に寄ったりしてささやかな交流があった。

小柄で海老のようにぐっと曲がった背中と小さな顔が可愛らしく、その様子を

長年知る叔母は「ばあさんは可愛いなぁすずめみたい」ともらす言葉に、曾祖母を知る

人は皆納得するのだった。

子供だった私がすずめのおばあさんの所へ出向くのは、孝行をするためでもなんでもなく、自分の家にお菓子がなく腹を減らした時限定のシンプルに意地汚い動機がある時

だけだった。

 

ある時も、腹を減らした私はすずめのおばあさんの家の扉を勝手に開け「ばあちゃあああああん!!!」と叫ぶと大体部屋から顔をひょこっと出しニコリと笑いながら「来たんか」と言うので「きた!!!」と答えるやいなや「おなかすいたおかしちょうだい」

と畳の上でゴロゴロと回転しながら甘えた。

この頃、曾祖母に対して小さな疑問なあった。

曾祖母はとても優しい人だったがお菓子をあまりわたしたがらない「沢山食べるとお腹が痛くなるからね。」と言ってびっくりするほど少しだけくれるのだ。

両端を透明なセロハンで縛った正方形の小さなチョコレート一個手渡され、食べたそばからもっともっととねだる私に苦笑いをしながらもう一個だけくれる様子を不満と不思議が混ざった思いでいつも眺めた。

 

随分大人になった頃、なんのきっかけだったか曾祖母が戦時中2人の我が子を亡くしていたことを知る。

慢性的な食糧難のなか幼い子供を抱えた曾祖母は、山へ入りアケビを見つけ出し子供達に分け与えた。一時でもお腹いっぱいにという切実な思いからであったはずだが、

不運にも子供達は消化不良をおこしあっけなく亡くなってしまった。現在なら死んでしまうような事ではなかったかもしれない。

 

あの時、お菓子をねだる私をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。

お腹を壊さないようにと気遣っていたひ孫が帰宅後『ルマンド』を一気に10本食いとかしていた事実を知ったら情けなくて泣いていたと思う。申し訳ない。